会員活動紹介
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二紀会の仲間たち10人『朝日村シリーズ』の全貌  松本善造
拝啓
 この度十数年来作図してきました絵画「朝日村」を東京都美術館で展示いただくことになりました。皆様よりお力添えをいただき育ててくださっていることがこの度の展示に至ったのだと感謝しております。
 精進半ばの私ですが今後とも努力いたしますので変わりませず御指導御鞭撻賜りますようお願い申し上げます。
 ここの謹んでご案内申し上げます。
                         敬具

                 2016年2月吉日

                     松 本 善 造 
二紀会の仲間たち10人『朝日村シリーズ』の全貌  松本善造

『ものづくりの改善がものすごく進む本』を出版しました。
 昨年末に明日香出版社から『ものづくりの改善がものすごく進む本』を出版した 辻 博文です。また、今年から三寿会に入会し、4/17(金)の総会にも初めて出席させて頂きました。当日は懐かしい方々とお会いする事が出来て大変有意義な1日でした。

 私は昭和49年に当時の東芝三重工場に入社し、平成8年に東芝四日市工場に異動して生産技術を長年担当してきましたが、昨年7月に東芝を退社して8月から菰野町の金型メーカに転職しました。その後、東芝で携わったのものづくりの40年の実体験を纏め、日本国内で必死にものづくりで生き残りに頑張っておられる方々に元気になって頂く為にこの本を出版しました。

 本の題名はものづくりですが、内容は人づくりの話が多くを占めており、大半は東北の工場の再生の物語となっております。世間では現在の日本では高付加価値製品でないと生き残れないと言われておりますが、汎用品であっても十分に生き残ることができ、賃金の高い日本でも海外に勝てるノウハウが記載されております。

 尚、この本は大規模書店で販売されておりましたが、現在は市中在庫が殆ど無い状況であり、購入の問い合わせは直接明日香出版社( 03-5395-7650)の方へ連絡いただく様お願い致します。

以下のサイトにも記事が掲載されています。ご覧ください。

明日香出版社
よっかいちタウン情報
中日三重サービスセンター

                      辻 博文
『ものづくりの改善がものすごく進む本』を出版しました。

T定規とそろばん
昭和29年(1954)、新入社員の研修会で山口先生が、黒板に大きな文字で、「一生懸命」と「一所懸命」のふたつのことばを書かれたことを記憶しています。
このように励ましてもらったことばや、格言や名言など人生を語る言葉は多くありますが、自分のこころにひびく感動した「ことば」は、いつまでも忘れることは出来ません。その後「ことばへの旅」として、折にふれて手帳に綴っています。
その中の一部を記載します。

(1)安全五原則
  1.安全に、安易な妥協は許されない
  1.安全確認は、総てに優先する。
  1.安全には、勇気ある態度で臨む
  1.基本動作は、正しく守る
  1.自分を守るのは、自分自身である。
最後のひとつは、いいことばです。

(2)設計者指針   (昭和56年3月)
  1、Q・C・Dの基は設計にあることを銘記せよ。
  2、「いかなるものをつくるか」と共に「いかにしてつくる
    か」を考えよ。
  3、標準化は全ての基盤である。全員でUFOを推進せ
    よ。
  4、プロの意識を持ち、プロのスピードで処理せよ。
  5、技術は日進月歩である。設計者は常に向上せよ。
   永井主幹が主役になって書かれたことばです。よく吟味
   され、設計の基本の思想がもり込められています。この
   ことばをカードにして全員に配布され唱和しました。
   この言葉は、昭和45年に発行された「東芝設計指針」が
   下敷きになっています。
  その中から、次のことばを追加したいと思います。
  6、設計の意図は、余す所なく図面に書け。
  7、設計者の責任は、その製品が消滅するまで残る。
   構造設計した約二千台の変圧器は、その後どんな経過を
   たどっているのだろうか。 「もう寿命ですね」と云われ
   るまで、トラブルなく運転を続けてほしいと、願って
   います。

(3)目標管理    (昭和60年)
    出来る 出来る 必ず 出来る
   やる気があれば 必ず 出来る
   出来ないと 思えば 出来ない
    出来ないと考えず 出来ると信じ
   永遠に自分は進歩したい
   出来る 出来る 必ず 出来る
  
   三重工場の延与部長が、半期の目標を説明した後、
   全員にこのメモを配り目標の達成を誓いました。
   自分は永遠に進歩したい・・プラス志向でいい
   ことばです。

(4)恋の東芝 浅野のギャング 金と命の鋼管会社
  京浜工業地帯の鶴見駅から、乗り換える鶴見線沿線には
  東芝鶴見工場(芝浦製作所)・浅野ドック・日本鋼管
  があり、労働者の間に、昔はやった川柳だと聞きました。
  私達の職場でも、職場結婚した人達が何組もありました。

T定規とそろばんで変圧器の構造設計を始めて、最後のドラフターを使って 平成15年68歳で設計業務を終えました。

                       川地光雄
                       以上
T定規とそろばん

桑名シニアスキークラブの活動紹介
 毎年行われている”桑名市民スキー大会”の流れから発生したシニアスキークラブで、何処にも所属していないフリーなクラブです。発足は2009年で、会員は男性8名、女性4名の総勢12名、62才〜79才まで多士済々の強者揃いです。
平均年齢71才のメンバーで活動しています。
 活動内容は年3回のスキーツアーと夏のバーベキューパーティー(BBQ大会)です。スキーツアーは奥美濃、信濃路を中心に2泊3日の日程が殆どです。
 会員は私のような製造会社出身者が多いのですが、銀行員、電力会社、釣鐘鋳物の個人経営者等様々です(女性の素性は聞かないことにしています。)
 今年は、特に女性の希望を尊重して、北海道のニセコスキー場へ3泊4日のツアーを挙行いたしました。
その様子を紹介させていただきます。行きの飛行機の機内では、荒天で着陸が困難な場合の放送があり、着陸するまでハラハラしましたが、幸い無事着陸できて一安心しましたが、1日目は吹雪、2日目は山頂付近が強風、3日目と4日目にやっと晴れてスキーを楽しむことができました。待ちに待った気持ちを抱えて全員、山頂から4Kmの滑降?ができ、大満足でした。写真からその醍醐味を想像ください。(写真はニセコ アンヌプリ岳1000m付近にて、後方は羊蹄山(蝦夷富士)、左から4人目が筆者です。)
 また、このスキー場は70%くらいが外国人で、ホテルのレストランでは英語や中国語が飛び交い、国際色豊かで、特に中国の経済力を目の当たりにした感じでした。
 いろいろありましたが、仲間と楽しい時間を過ごせたことが最高の幸せです。
 三寿会会員でスキーを楽しみたい方、仲間に入りませんか、大歓迎です。

                      藤本忠彦
                      以上
桑名シニアスキークラブの活動紹介

昭和40年度東芝三重工場入社同期会

東京オリンピック開催の翌年、昭和40年春に高校を卒業して4月1日に東京芝浦電気株式会社三重工場(当時)に入社したのは男子30名、女子34名でした。このうち男子12名で久しぶりの同期会を2014年11月に大阪で開催しました。男子30名の内3名が現在は大阪周辺に居住しており、前回の同期会で「次回は大阪で開催しよう。」という事になって大阪での開催となりました。開催案内の声掛けは20数名にしましたが、仕事やアルバイト、体調等の都合もあって参加者は12名となりました。大阪周辺に居住の3名が幹事となり、秋の一日を大阪の道頓堀界隈と御堂筋の銀杏の紅葉を楽しみ、またそれぞれの元気な姿を拝見し、懐かしい話も出来て、これから先の生きる元気を貰い、素晴らしく有意義な一日を過ごす事が出来ました。三寿会の皆様も同じと思いますが、入社が一緒の同期生と久しぶりに会うという事は、会ったその瞬間から気分はタイムスリップして青春時代に戻り「俺・お前」の言い方でいろいろなしがらみ抜きの懐かしい話が出来ます。その時に抱えているストレス等は何処かに飛んでしまい素晴らしい時間を過ごせます。(学生時代の同窓会も同じような効果はありますが。)
私達は昭和40年(1965年)の入社から数えて今年は丁度50年の節目となります。また数えの70歳で『古希』でもあります。この丁度良い節目の今年は女子にも声をかけて久しぶりに男子女子混合の同期会を盛大にやりたいものと考えています。
                 八木文義   有島正弘

                         以上
昭和40年度東芝三重工場入社同期会

東芝退職後の就職について
2009年6月末で東芝産業機器製造(株)を退職した。しばらくは自由に暮らしたいと考え、3年半の間就職せずにいた。その間、サイパンへ3回、ハワイへ1回(写真)、海外でのゴルフを楽しんだ。2012年8月に大腸癌の手術をした。早期発見の為、大事に至らず、直ぐにまた元の生活に戻れた。体のケアに目処がついたので、今までとは一味違う環境で働きたいと考え、2013年3月から三重県工業研究所で「製造現場課題発見支援嘱託員」として1年間の契約で、1ケ月16日勤務の条件で働きだした。地方公務員としての勤務は何かと新鮮であった。この仕事は厚生労働省の補助金の事業で、三重県下の中小企業を約70社ほど訪問できたのが有益であった。1年が経とうとした時、三重県の次の新しい仕事の機会が訪れた。2014年1月20日から三重県から委託を受けた、三重県産業支援センターで職務を開始した。「三重県戦略産業雇用創造プロジェクト」という名称の組織が創立され、14名のメンバーが新たに雇われてスタートした。勤務日数が1ヶ月18日になった。パナソニックやシンファオニア(旧神鋼電機)やホンダや富士電機、コニカミノルタ、豊田合成の経験者が同僚になった。同様の事業が11の県で同時に発足し稼働しており、三重県の事業は県下の基幹産業としての比率が高い「自動車関連産業」に焦点を当てた活動が特徴となっている。本事業は主要11の事業アイテムからなり、幅広い分野での活動となっている。アイテムの中にはOBの就職支援もあり、もし働く機会をお持ちの方は、お知らせいただければ、ご支援いたしますので申し出下さい。企業改革活動の支援もあり、インストラクターの育成も行っている。シックスシグマの経験を活かす機会も多い。いずれにしても会社で培った経験と、新しい知識が相まって、創造的な活動内容に満足している。有名な東大の藤本隆弘教授が「日本のものづくり」に光をあてており、その普及に尽力することにもなっている。現在経産省もこの種の運動を支援する動きがあり、全国の拠点つくりに乗り出しており、三重県もその1つに選ばれたら、名誉なことである。グローバル資本主義が歪んで格差が拡大する傾向にあると言われ始めている、「ものづくり」を改善することにより実態の経済成長が加速されれば、格差の拡大を防ぐことができることになる。着実に改善する活動のDNAは日本人が本来持っている特性であり、継承可能なものであると確信する。その一助となれば幸せである。しかし、それだけでは日本の産業が復活できる保証はありません。新しい民主主義のパラダイムが生まれようとしているこの時に、我々はそれに立ち会う機会を得られるかもしれないし、間に合わないかもしれないが、今の活動を通して、その兆しに巡り合えるかもしれないと思っている。それは、ものづくり(技術)の進歩という片方の車輪だけで改善されるのではなく、価値づくり(新しい付加価値の創造)をどのように生み出すかというもう一つの車輪と組み合わされることにより生まれるもので、価値づくりはまだ開発途上であり、我々の次の課題であることは明白である。新しい時代の幕開けに立ち会えれば幸いである。
                      佐藤 善厚
                       以上
東芝退職後の就職について

自助具と言う魔法の道具を開発しています。
            「自助具工房くわな」 池中収平

 朝日町で空缶拾い・草取り等をして、奉仕活動に関心が高かったことと、現役時代の影響で物作りが好きなことが相まって、仲間達と雑談していた時、ボランティアグループ「 自助具工房くわな 」を知り、活動に参画することにしました。工房には旋盤・フライス盤等々金属を加工する機械から、糸鋸盤等木材を加工する設備が揃っていて、知恵を出せば何でも製作することが出来るので、生活で困っていることや、普段使用している用具の改善・改造を希望されている方々に喜んで貰っています。椎根重吉さん、藤本忠彦さん、南健博、大島光昭さんも一緒に活動しています。次のページに具体的な活動内容を紹介します。 
自助具と言う魔法の道具を開発しています。

人物紹介  松本善造 (二紀会会員)  「絵と私」
人物紹介というテーマで三寿会会員を紹介していきます。今回は 松本善造さんです。
 四〇才代半ばで東芝を退職し専業絵描きとして歩んだ道のりと絵に取り組む姿勢について綴った、「絵と私」 という随筆を寄稿して頂きました。最近は「朝日村」シリーズという作品で、多くの賞を受賞し、その作品が、全国の朝日村で巡回展示されています。まだまだ絵画に対する情熱は色あせず、新しい作品作りに励む毎日です。

 略歴
  昭和21年 三重郡朝日村で生まれる。
  昭和48年 二紀展 褒賞受賞。
  平成 9年 二紀展 同人賞受賞。
  平成12年 第5回小磯良平大賞 入賞。
  平成13年 熊谷守一大賞受賞。
  平成15年 青木繁記念大賞展 優秀賞。
  平成24年 二紀展 会員賞受賞。
  現在 社団法人 二紀会 会員
     二紀会 三重支部 支部長
 「絵と私」 という随筆は会員専用ページのトピックスでご覧いただけます。
人物紹介  松本善造 (二紀会会員)  「絵と私」

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